駆逐艦「涼月」(すずつき)は防空駆逐艦「秋月」型の3番艦です。涼月は1944年1月に潜水艦からの雷撃を受け艦首と艦尾を失い、損傷復旧後の1944年10月にまたも艦首に魚雷が命中し艦首を失います。「涼月」はマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦には損傷していたため参加していません
1945年4月、第2艦隊の沖縄特攻時に「大和」の護衛として出撃しました。沖縄への途中、米機動部隊艦載機の攻撃を受け「大和」以下6隻が沈没しました。「涼月」は前部に爆弾を受け自力航行は可能なものの前部区画の大半に浸水し缶室が直接水圧を受け、舵取装も故障、沈没寸前の状態となりました。
缶室に直接水圧を受けている状態で前進すれば隔壁が破損し缶室に浸水し涼月は沈没してしまいます。その為「涼月」は後進のみで鹿児島への帰還を目指します。翌朝10時ごろ「涼月」は五島列島付近に到達、東に進路を取って佐世保を目指します。この時近寄ってきた漁船が「我貴艦の側方を護衛する」と信号を送ってきたとも言われています。そして、「涼月」は佐世保に到達。帰還が遅れたため沈没したと判断されていましたが、奇跡の生還に佐世保工廠は曳船を急遽用意し、ドックに収容されますが、力尽きたかのように前部に浸水、排水を待たずにドック内で着底します。
翌日「涼月」の艦内を調べると、前部で1室だけ浸水を免れた区画がありました。その区画には3人の屍がありました。その三人は弾薬庫の誘爆を防ぐために部屋を密閉し、隔壁を丸太で補強していました。この区画が守られた事で、涼月は奇跡の生還を果たしたのです。
その後、「涼月」の復旧作業は断念されましたが、健在な後部砲塔を生かすために砲台として利用され、P51を撃墜しています。戦後「涼月」は北九州若松港の防波堤として生涯を終えました。
キットはモノクロームのものです。
艦首下の形状を直線的に変更しています。カッター及び機銃はハセガワの長門のものを使用しています。ループアンテナは真鍮線での自作です。マストは真鍮線に切り替えるかどうかかなり迷ったのですが、13号電探にプラパーツを使うしかない以上バランスを考え、キットのパーツを少し手直しして使用しています。手すりなどはハセガワの雪風の竣工時用のエッチングパーツです。木製ベースはオーダーメイドのものです。
塗装 サーフェイサーを吹いた後に塗装を行っています。・
舷側など カーボンブラックマット→軍艦色2
リノリウム マホガニー→リノリウム色
艦底 艦底色
です。
空中線を張って完成です。
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製作が早いですね(笑
うちのようになんだかんだと言っていたけどこう素組みの完成品を見るとこれはこれで良い感じですね
>うちのようになんだかんだと言っていたけどこう素組みの完成品を見るとこれはこれで良い感じですね
ありがとうございます。素組で綺麗に作っても良し、徹底的に手を入れても良し、どちらでも良いキットというのは個人的には好きなキットです(^^♪、個人的には各パーツの接地性などはかなり頑張ったつもりです(笑)
蒼月乃光さんの力作も楽しみにしております。